2020年8月17日月曜日

溶融メタルの成分分析(2) キレる正社員

4.キレる中年正社員

今日は朝から社内が騒がしい。

課長が「外注ゥゥウー‼ 外注ゥゥウー‼」とサイレンのように叫び、スタッフたちが電話をかけて外注先を探している。

昨晩、Au, Ag, Pt, Pd の分析結果が「10 mg/kg 未満」という報告書を受取ったお客さんが、中年正社員に試料の調製方法についての説明を求めた。

彼は「ハンマーで叩いて、砕けた部分のみを分析した」と正直に回答したもんだから、お客さんが怒ってしまったそうだ。

とにかく、来週中に再分析の結果を報告すると約束したので、今朝から必死になって試料調製を請負ってくれる会社を探している状態だ。

「ボーっとするな‼ おまえも外注先を探せ!」

事務室で仁王立ちしている中年正社員が、わたしを見つけて怒鳴る。

事務のスタッフたちが朝から必死になって外注先をしているが、試料調製を請負ってくれる会社がなかなか見つからない...

「おまえらどっかねえのかよ‼ 探してんのかよ‼」

中年正社員がキレる。

『おまえが探せよ‼』

...スタッフ全員が思ったはずだ。

とりあえず、わたしは個人的な知り合いの同業者に電話して世間話をする。
ついでに試料調製の件も聞いてみた。

すると、短納期であっさり引き受けてくれた。


5.溶融メタルの分解と定量

3日後、調製された試料が届いた。

粒径が150μmに満たない試料と、粒径が150μm以上の試料に分けてあり、重量の割合は82%と18%だった。8割以上が細かく砕けたようだ。

気づくと、溶融メタルの分析担当がわたしに変わっており、責任の重圧から逃れた中年正社員は、事務室で踏ん反りかえっている。


とりあえず、蛍光エックス線装置で試料をスクリーニングしてみる。

粒径が150μmに満たない試料には、鉄と銅以外にカルシウム・アルミニウム・マグネシウム・ケイ素がそれなりに含まれているので、フッ化水素酸処理を行うことにしよう。

粒径が150μm以上の試料のほうは、鉄と銅以外にニッケルがそこそこ入ってるなぁといった感じだ。これなら王水だけで溶けそうだ。


とにかく納期に余裕がないので、直ぐに分解をはじめる。

粒径が150μmに満たない試料は、0.5gを王水とフッ化水素酸で加熱分解したのち、フッ化水素酸をしっかり追い出す。これを0.5mol/lぐらいの硝酸酸性の溶液にしてろ過。

残渣(肉眼では確認できなかったが...)は灰化後に炭酸ナトリウムで溶融を行い、これを硝酸酸性の溶液で溶かし出す。

粒径が150μm以上の試料は、1.0g以上を王水で加熱分解する。こちらも残渣は灰化後に炭酸ナトリウムで溶融を行い、これを硝酸酸性の溶液で溶かし出す。

どちらの試料も銀の分析をしなくてはならないので、王水ではなく硝酸で加熱分解した分解液も作成した。また、分析結果の品質担保のために、添加回収試験も同時進行で行う。


「どうなってんだ‼ いつでるんだ‼」

分析中、30分おきに中年正社員が邪魔をする。


定量にはICP-MSとICP-AESを用いる。主成分の鉄と銅による干渉が予想されるので、ICP-AESでは標準添加法で定量を行い、ICP-MSでは標準添加法やマトリックスマッチングは行わず、希釈倍率を大きくして絶対検量線法で定量を行った。

結果は、いずれの方法を用いても分析値に目立った違いはなく、添加回収試験の結果もAu, Ag, Pt, Pd, のどれもが95%以上の回収率だった。

また、残渣処理をした溶液については、溶融剤による干渉が予想されたので、検量線用標準液に溶融剤を添加してマトリックスマッチングを行ったが、この溶液から測定対象元素は検出しなかった。


最終的に加重平均した分析結果がこれ。(単位は mg/kg)

Au:130, Ag:510, Pt:30, Pd:20

これを中年正社員は、全て定量下限値未満(10mg/kg未満)で報告したんだから、そりゃあお客さんは怒るよ。


試料調製を甘く見ると、本っっっ当に痛い目にあいます。